おっさんのブログ

まだ方向性が定まらない

タブクリアは不味かった

近頃は謎の透明飲料水ブームが続いている。私が最初に認知したのは透明なミルクティーだったと思うのだが、気がついたらあれもこれも何もかも透明になってしまった。

この手の商品の企画をする人たちというのは、よほど発想力が貧困で柳の下に泥鰌がいなくなるまで取り尽くさないと気が済まないらしい。透明な風味付き飲料水を作るのは大変なことだと思うし、それを実現する開発者の技術と努力には敬意を表するが、そもそもつまらない企画であるのでどうしようもない。

一説によると色付きの飲料水を飲んでいると怒られる職種の人には重宝なのだそうだが、それだけでこんなに売れるのだろうか。一時の話題性だけで売ろうとしているのだとしたら、あまり健全なビジネスとは思えないぞ。こんなくだらないものが流行るなんて嗚呼つまらない世の中になったものよと世相を憂いてみせるおっさんだが、しかし彼は、かつてアレが存在したことを忘れていた。

歴史は繰り返す。人類が同じ過ちを犯そうとしたとき、「気をつけろ、それは危険だ。俺たちは痛い目に遭ったんだ!」と叫ぶのは年寄りの義務だ。あんなに苦い思いをしたというのに。忘れたのか、透明な飲料水は危険だ。なぜ、アレを思い出さないのか。

 

b.hatena.ne.jp

6月2日午前1時現在、ブコメのトップはceriesさんの「蘇るタブ・クリア俵孝太郎 」である。私がこのニュースを見たときに最初に思い出したのも、まさにそれだった。タブクリア。この言葉を心で呟くだけで胃酸が逆流する。

タブクリアとは、コカコーラ社が1993年に販売した透明なコーラ風味飲料水であり、俵孝太郎はそのCMに起用された政治評論家兼タレントである。

25年前、私は剣道少年だった。別に剣道は好きではなかった。剣の才能も無かったし、汗臭い胴着や防具も、竹刀で頭や腕を強かに叩かれる痛みも大嫌いだった。ただ親に言われるままに教室に通っていたのだ。親はどうやら子供に剣道を習わせることで姿勢が良くなることを期待していたらしいのだが、その子供は剣道を気に入らず中学に入ると止めてしまい、その後、無事に姿勢の悪い大人に育ったのだった。

話が逸れた。とにかく、私は親に反抗する気概もなくイヤイヤ剣道教室に通っていたのだ。そんな私にとって、唯一の楽しみは稽古後の帰り道に自動販売機で買って飲む飲料水だった。親は稽古の度に飲料水代として100円をくれた。

いまの若い衆には信じられまい。昔々は100円玉ひとつで飲料水が買えたのだ。忌まわしき消費税がなかった頃の話だ。そして、ある時、政治家が「消費税あれ」と言われた。1989年に消費税3%が導入された。それまで100円だった飲料水は103円になってしかるべきだったのだが、コカコーラ社を頭とする悪辣な飲料水メーカーは「自動販売機に1円玉を識別させるのはイヤだ」と駄々を捏ね、飲料水を軒並み110円に値上げしてしまった。1997年、消費税率が5%に引き上げられた。邪悪な飲料水メーカーは、平然と飲料水の価格を120円に引き上げるという暴挙に及んだ。これが、いまの自販機の飲料水が120円という半端な価格になっている歴史的理由である。

話が大幅に逸れた。25年前に私が剣道少年だった頃、すでに消費税3%は導入されていた。大手メーカーの自販機は110円で飲料水を販売していた。しかし、全ての自販機がそうだった訳ではない。コカコーラ社を筆頭とする姑息な値上げ作戦に同調せず、100円で販売を続ける良心的なメーカーもあった。その一つが、チェリオコーポレーションである。

チェリオの自販機」は、当時の私にとってロールプレイングゲームセーブポイントと同じくらい価値があり、同じくらいレアな存在だった。街中の多くの自販機は大手メーカーのもので、すべて110円だった。しかし、数少ないチェリオの自販機では100円で飲料水が買えたのだ。

剣道の稽古を終えて家に帰る道程に一箇所だけチェリオの自販機があった。そこは、私にとって回復の泉だった。私は、いつも「ライフガード」という飲料水を買って飲んでいた。いまで言うところのエナジードリンクみたいなものだったと思う。迷彩柄のかっちょいい缶に入った炭酸飲料水だった。

ある日、私は「透明なコーラ」が発売されたというニュースを聞いた。タブクリアという名前だという。興味を惹かれた私は、いつもの回復の泉に寄らずに、謎の透明なコーラを探した。記憶が定かではないが、自販機ではなく、どこかの商店で見つけて買ったのだと思う。それは未来的な銀色の缶に入っていた。手のひらに汲み出してみると確かに透明で、炭酸がシュワシュワと弾けていた。わくわくしながら飲んだその味は胃酸の味だった。

Wikipediaの記述によると、タブクリアには甘味料にアスパルテームが使用されており、それが苦味・えぐみを生んでいたのだという。それが原因で胃酸が逆流したのだろうか、当時の私には酸っぱさが感じられた。それが炭酸で弾けながら口の中に広がる感覚はえもいわれぬ不快感であり、堪えきれず口の中のものを吐き出し、缶の残りは側溝に流し捨てた。新しい回復の泉を試したら毒の沼だった気分だった。

これが、私のタブクリアの思い出だ。タブクリアという一言で、これだけ記憶が戻ってくる。タブクリアは不味かったが、それに引き摺られて当時の思い出が蘇る。剣道教室の音、臭い、籠手を撃たれた腕の痛さ、帰り道にいつも飲んでいたライフガードの美味さ。タブクリアは発売一年を待たずに製造中止になったという。さもありなん、という味だった。だが、それは忘れられない味であり、1993年という年に紐付けられた強烈な記憶である。私は「タブクリア」という一言を思い浮かべるだけで、いつでも1993年に回帰することができる。

私と同じように、タブクリアに縛り付けられた思い出を持つ人を見つけたので紹介しておく。

tamokuteki.hatenablog.com

飲料水は開発競争の厳しい世界で、新しい商品が生まれては忘れ去られていく。その中で、これだけ記憶に残る商品も珍しかろう。新しい透明なコーラはどんな味なのか。おっさんには、もう、それを試す好奇心も度胸もない。コーラが飲みたければ黒いコーラで十分だ。

 

クリスタルなのよ、きっと生活が。 なにも悩みなんて、ありゃしないし ……

田中康夫『なんとなく、クリスタル』